2011年2月26日土曜日

一期一会は永遠に

文学大賞の最終選考会まであと一週間を切り、

次の土曜日まで、眠れない日が続くのではないかと・・・がっつり寝てるけど(‐ー;)

今日はある場所で、昨年の文学賞受賞者の方と、師匠から「お上手なのよ」と噂だけはお聞きしてた方にお会いできた。

最終選考作を読みました、って仰って、

「読み終わって、もう一度読みたいと思ったのは、さかがみさんの作品でした」

と言っていただいた。

昨年の受賞者の方からも、

「私、今年出してたら、絶対駄目だった」

って。

「私の運を分けてあげる」

と握手してくださった。すごく柔らかい優しい手だった。


リサイクルショップに行けば、手垢も付かない新品同様の「話題作だったはず」の本が並べられていて、

物書きのはしくれとしてはすごく切なくなる。

私の目指すものは大ベストセラーなんかじゃなくて、

これは手放せない・捨てられない本、そう言っていただける作品。 

ただその人に出会うために生まれる物語を書きたい。

2011年2月21日月曜日

eat ate eaten



つい昨日まで、石組基壇だの折上組入天井だのをやっていたのに。

本日から現代になりました。

やってきたのは、鹿児島県庁食堂






本日のC定食は、チキン南蛮。

ちなみにA定食は、他人丼。

これで500円。

ご飯は半分にしてもらいました。

                             



こちらは、娘が食べた味噌ラーメン。
 
スープがおいしゅうございました。

小鉢は別売り。お握りは一個70円。



ご馳走様でした。



「食べる」って、すごく大事なことだと思ってる。

それは生きることに直結してる。

命に対する感謝とか、作り手に対する感謝とか。

あるいは、食べてもらう相手にたいする思いやりとか。

そういう深遠なテーマには(きっと)取り組まないけど(汗)

食べ物を通して人がつながる。そういう話を書きたいと思っております。

2011年2月19日土曜日

京男に東言葉

師匠に、出来上がった時代小説(白鳳時代)を読んでいただいた。

あの時代、日本人はかなり中国風の発音で話をしていたらしいのだが、

「それでも、大和の人が東言葉を話してたってことは・・・まさか、ないよね?」

そうだなー。

宮廷でやんごとないお方に仕える人が、江戸の下町言葉で話すわけゃないよなー・・・

ウチ(家族・仲間同士)では現代言葉に近い話し方で、

ソト(主従関係)では古語の近く、と思いながら書いたのだが。

たまに、東言葉どころか、鹿児島弁になるってどうよ?

勉強せねばならないことが山積みだ。

2011年2月17日木曜日

ベクトルが向くところ

先日200と50+で新作があがり、この中途半端な作品をどこに応募しようかと考えている。

すごく楽しかった。

楽しかったけど、終わったら疲れて寝込んだ。

知恵熱ってやつね。



”Rescue me”という曲を聴いてて、

Help me ではないのだと気付いたとき、すごくショックだった。

助ける、なんて生易しいものではなく、彼は救いを求めている。


ごう、と風が吹いて、炎の前に立つ人物が現れて、

その人のことを書かねばと思った。

でもナゼか、舞台は日本の古代だったのだけど。

 自分の中に映像だとか、文章だとかの貯金があって、

それがふいっと形になった感じ。

そういう瞬間は最高に幸せ。

2011年2月16日水曜日

Veni vidi ...perdidi

南日本文学大賞の候補作6作をまとめた冊子が出来ました。

正直・・・勝てる気がしねぇ・・・です。

もしかして自分の作品は「駄目作品」代表でさらし物になるのではと、

脇にいやーーーーーな汗をじっとりかいておりますよ。

読めば読むほど、ほかの方々の作品が素晴らしくて、

自分の作品がどれだけ行き当たりばったりかが、よくわかる。

こんな作品書いてちゃアカン。

精進いたします。

ゆくえ

メールがあってブログがあって、ツイッターがあって、ホームページがあって。

以前は手書きの日記や手紙でしか書き表せなかった言葉たちが、頭の上を舞っている。

自分の言葉でありながら、光が跳ね返ってくるのを待っている。共感されることに喜びを感じてる。

人はどうやら、本当に寂しい生き物らしい。


でも本当に言いたい言葉は、どこに行けばいいのだろう。

・・・ということで、私は今日も書いている。

専用ブログ開設しました

生活から離れて、小説のことだけでブログを開設してみました。

ブログタイトルの意味は、

”魚はどこにいても泳ぐ”ということわざから。

どうぞよろしく