携帯電話、i-pod、パソコン、インターネット etc... を駆使して現代ものを書いたあとは、
後味が悪くてしかたない。
「頭使わずに書きましたー」的なね、
読んでいただく方に、実に申し訳ない気分になる。
しかたないので、時代物を書き始めたのだが、
私の書く時代には、偽書と呼ばれる史料が多い。
あれも嘘、これも疑わしい・・・となれば、頭が痛い。
何を信じればいいのやら、
誰を信じればいいのやら。
あれもこれもが疑わしいのならば、自分を信じるしかない。
私はがっつりの正史を書きたいわけではないので、
「こんなお話はどないでっしゃろ?」みたいな気分で書く。
自分で偽書を書けばいいのだと居直っている。
だけどそこはA型の哀しさなのか、
表計算ソフトで年譜をこさえて、
世間一般に正史とされている歴史的事実を書き出し、その中に人物を当てはめていく。
そうするうちに「歴史の窪み」を見つけることがあって、また新しい物語が生まれてくる。
ある方がおっしゃっていた。
「時代物を書くときには『なぜその時代なのか』も考えて書いてほしい。
その時代を通して、何を伝えたいのかを書いてほしい」
まったくでございます。
時代の空気や人のにおいまで書きたいと思いながら、
史料と取っ組み合いの日々です。
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