2011年5月20日金曜日

携帯電話と木簡と


携帯電話、i-pod、パソコン、インターネット etc... を駆使して現代ものを書いたあとは、

後味が悪くてしかたない。 


「頭使わずに書きましたー」的なね、

読んでいただく方に、実に申し訳ない気分になる。


しかたないので、時代物を書き始めたのだが、

私の書く時代には、偽書と呼ばれる史料が多い。

あれも嘘、これも疑わしい・・・となれば、頭が痛い。

何を信じればいいのやら、

誰を信じればいいのやら。


あれもこれもが疑わしいのならば、自分を信じるしかない。

私はがっつりの正史を書きたいわけではないので、

「こんなお話はどないでっしゃろ?」みたいな気分で書く。

自分で偽書を書けばいいのだと居直っている。


だけどそこはA型の哀しさなのか、

表計算ソフトで年譜をこさえて、

世間一般に正史とされている歴史的事実を書き出し、その中に人物を当てはめていく。

そうするうちに「歴史の窪み」を見つけることがあって、また新しい物語が生まれてくる。


ある方がおっしゃっていた。

「時代物を書くときには『なぜその時代なのか』も考えて書いてほしい。

その時代を通して、何を伝えたいのかを書いてほしい」

まったくでございます。


時代の空気や人のにおいまで書きたいと思いながら、

史料と取っ組み合いの日々です。

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